事故の概要

事故調査報告書のリンク集はこちら

以下、国会「東京電力福島原子力発電所事故調査委員会 報告書」要約版(2012), p.24より引用

平成23(2011)年3 月11 日に発生した東北地方太平洋沖地震及び津波を端緒として、東京電力株式会社(以下「東電」という)の福島第一原子力発電所(以下「福島第一原発」という)は、国際原子力事象評価尺度(INES)で「レベル7」という極めて深刻な事故を引き起こした。

地震発生時、福島第一原発は、1 号機が定格電気出力一定で運転中、2 号機、3 号機は定格熱出力一定で運転中、4 ~6 号機は定期検査中であった。運転中であった1~3 号機は地震発生直後に自動的にスクラム(原子炉緊急停止)した。

この地震動で、東電新福島変電所から福島第一原発にかけての送配電設備が損傷し、全ての送電が停止した。また、東北電力の送電網から受電する66kV 東電原子力線が予備送電線として用意されていたが、1 号機金属閉鎖配電盤(M/C)に接続するケーブルの不具合のため、同送電線から受電することができず、外部電源を喪失してしまった。

その後、地震動を起因として発生した津波により、非常用ディーゼル発電機(D/G)や冷却用海水ポンプ、配電系統設備、1 号機、2 号機、4 号機の直流電源などが水没して機能不全となり、6 号機の空冷式非常用ディーゼル発電機1 台を除く全ての電力供給機能が失われた。すなわち1 号機、2 号機、4 号機の全電源喪失及び3 号機、5号機の全交流電源喪失(SBO)が生じた。そして、3 号機は、直流電源のみ辛うじて残ったものの、3 月13 日未明には放電し全電源喪失となった。

一方、地震や津波の被害による影響は、電源に対してのみにとどまらなかった。すなわち、津波は、がれきや車両、重機、重油タンク、土砂等を伴って原子力発電所の建屋や機器・設備を破壊した。また、3、4 号機超高圧開閉所や運用補助共用施設(共用プール建屋)にまで津波が及び、主要建屋エリア全体にわたって大量の海水が流れ込んだ。津波が去った後も、津波漂流物が原子力発電所構内に散乱し、車両の通行や資機材搬入作業を妨げるとともに、マンホールやグレーチング等のふたを吹き上げて開口部を作り、地震による発電所構内道路の隆起、沈降、陥没と相まって、アクセス性が著しく悪化した。また、継続的に発生する大規模な余震や津波は、それへの警戒と断続的な作業中止を余儀なくさせ、円滑な事故対応を阻害する一因であった。さらに、電源喪失によって、中央制御室での計装や監視、制御といった中央制御機能、発電所内の照明、通信手段を一挙に失った。そのため、有効なツールや手順書もない中、現場運転員たちによる臨機の判断、対応に依拠せざるを得ず、まさに手探りの状態での事故対応となった。

電源喪失によって、適時かつ実効的な原子炉冷却も著しく困難になっていた。原子炉冷却、すなわち、高圧注水や原子炉減圧、低圧注水、格納容器冷却と減圧、最終ヒートシンクへの崩壊熱除去といった、事故回避へ向けた各ステップの実行とその成否は、電源の存在に強く依存しているためである。また、前述した発電所構内のアクセス性の悪化は、消防車による代替注水や電源復旧、格納容器ベントのライン構成及びそれらの継続的な運用において、大きな障害になった。